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君の役に立たないblog

恋愛するのかしないのか

恋人を作る人が減っている。はっきりと実感を持って分かる。

周りの友人たち男女どちらも恋人を作ってない人が多い。

もしかしたら私の所属する界隈だけかもしれない?

それにしたって、今の日本は80年代や90年代のような恋愛至上主義的傾向は見られない。

でも私はそれでいいと思う。

 

恋愛なんて面倒臭いもの、先人たちはどうしてあくせくと励んでいたんだろう?

それ以外に楽しいことが無かったから?

現代には様々な娯楽が溢れていて、インターネットのおかげで個人の多様性が認められやすくなっている。恋人や友人なんていなくても、バーチャルな世界で気の合う相手を見つけることができる。昔はTVや雑誌などメディアが群衆をまとめ上げていたけれど、現代ではWeb上で様々な価値観が共存することが許される。

つまり、便利な現代において人間は個人の価値観に素直に生きられるようになったんじゃないでしょうか

 

 

例えばある人と知り合って親密になってゆく過程で、相手の依存心やこちらに対する所有欲求を感じ、そんな相手を受け入れながらこちらもなんとか自己開示をしていこうとする。

相手の欲求は日を追うごとに加速していく。彼の欲求は主に「俺を受け入れてくれ〜」であり、これは重くて鈍い関係の始まりである。

 

恋愛には多くのシチュエーションがあるけれど、私は日本でこの「俺を受け入れてくれ〜」型以外の人に出会ったことがない。一度だけ「君のことをもっと教えてくれ」型の人に出会ったことがあるけれど、その人はイタリア人だった。愛の国フランスやイタリアなどロマンスに対する意識が発達している国の人の愛情ってやっぱり日本と比べたら成熟しているのかな、と思ったものだった。

 

さて、「俺を受け入れてくれ」型の人に流されてダラダラ恋愛関係を続けても自分が満たされることって無い。彼の欲求は利己的で、相手に受け入れてさえもらえれば彼は満足だ。相手が何を考えていて何が好きで、どんな意思があって...ということに気が回らない。私は個人的に、こんな相手に自分の大事な心を預けることはできない。

 

上記のイタリア人とはタイミングが悪く恋愛成立はしなかったが、彼からは「愛とは惜しみなく与えること」だということを学んだ気がした。さて日本に戻ってきて「俺を受け入れてくれ」型の何人かと恋愛関係になりそうになったとき、私は「惜しみなく与える」ことなんてできなかった。大抵相手の欲求を満たしてあげることに疲れ果て、関係の途中で逃げ出してしまった。

ろくでもない奴なのは自覚している。でも待ってほしい、わたしだってイタリア人みたいに惜しみなく与えてみたかったのだ。それでやってみたら相手が調子に乗って要求がエスカレートし、私の負担が増えていった。自分と相手のバランスが取れないと誰かに愛を与えることはすごく難しい。

 

恋愛するのかしないのか。つぎに恋する相手は成熟した愛を持っている人であってほしい、なんて相手から逃げてばかりの私が言えることではないのだけれど、心からそう思う。それ以外の疲弊させられるだけの恋愛だったら、しないほうがましだ。